普遍的であること、変わっていくこと。〜YUKI『megaphonic』


YUKIのニューアルバムが発売されて一週間ちょっと。久々にYUKIをヘビロテしています。

megaphonic(初回生産限定盤)

megaphonic(初回生産限定盤)

あれ、YUKI大好きなんじゃないの?って自分でもツッコミ入れたくなるぐらいだけど、ここ一年ぐらいまともにYUKIのCD聴いてませんでした。




その理由は、前作『うれしくって抱きあうよ』にあります。
てゆうかその前から、曲はいいのにアートワークがつまらなくなっていて、PVとかほとんど見なくなっていました。
YUKIはソロデビューしてからいろんな挑戦をしていて、いろんな魅せ方をしてくれて、毎回面白いなあと思っていました。
が、「汽車に乗って」ぐらいからかなあ、もういいわその路線、と思ってしまい、YUKIのビジュアルに関心がなくなってしまいました。
元々YUKIの歌声や歌詞もビジュアルも発言も、全部まとめて好き!というファンだったので、ひとつでもつまらなくなるとなし崩し……。
もう平野文子とやんないでくれたらいいのに、とまで思いました。今でもだけど。
これは愚痴みたいなものですね。うん。
そして『うれしくって抱きあうよ』。個人的に恋愛?なにそれ食べれるの?状態だったときにリリースされたので、なんだか包まれている幸せオーラに「あ、もう聴けないや」と諦めました。
私降参。
でもYUKIのライブは好きだから行ったら、盛り上がれるライブじゃなかった。
もちろん悪いライブじゃないの、けど私が聴きたいものと完全にベクトルが違う。と、それからはCDがリリースされても買ってはいたものの未開封のままでした。


アルバムが出るにあたり、未開封のシングルを開けて聴いてみた。あれ、いいじゃん、ってなった。そしてアルバム発売。あれ、いいじゃん。


「揺れるスカート」や「クライマー・クライマー」の音は既視感(音楽だから既聴感?)があり、心地よく響いたし、シングル「ひみつ」、「2人のストーリー」は切なくて聴けば聴くほど泣けてきた。
過去曲を彷彿とさせるフレーズも多くて、YUKIのスタンダードなのかな、と思った。


ただ、逆に言えば「これがYUKIです!」って曲がないのが残念。それは今までもなんだけど、「ああYUKIらしいよね」ってならないんだよね。
それはYUKI自身が作曲しない、シンガーソングライターではなくて歌手だからなのかな、と思った。
もちろん「こうゆうイメージで」「○○みたいな音で」みたいな注文は付けてるんだろうけど、「YUKIといえばコレ!」みたいな音がない。
どうしても「あの人のあの曲に似てるな」とかゆう印象になってしまって。悪いことではないんだけど、ちょっと弱い。
そこを埋めてるのは歌詞で、YUKIの書く詞はすごく個性的なんだけど……。
YUKIはもうJAM時代のような歌は歌えないんだろうな、と、ソロになった時に思った。
そしてソロになってかなり悩んだ時期もあったし、イケイケだったときもあったし、悲しい時もあった。その時々をYUKIは歌った。
「もう自分のことは歌わない」と言っていた割には自分のこと歌ってるじゃん!みたいな適当さもYUKIの魅力です。
でも『うれ抱き』のころは宗教じみててちょっとイヤでした。もっと適当でしょーがYUKIは!って。


アルバムを聴いていると、いい音だな、いい声だな、いい詞だな、けど何かが足りないな、と思うのです。
それはたぶん「YUKIらしさってなんだろう?」ってことなんだろうな。
でもまあアルバムごとに挑戦してるんだろうな、とも言えるね。うーん、難しい。
今のところ「JOY」が代表曲なのかな。でもそれで終わってほしくないし、これからも挑戦していってほしいです。




それにしても「Hello!」でMステに出たときの口パクはなんだったんだろう。フェスで高音ひっくり返りまくってたらしいし、アルバム聴いても声の張りがなくなってきてるし、やっぱり喉の調子良くないのかな。
YUKIの口パクは悲しかった。何があっても歌だけには本気な人だと思ってるのでまだ諦めませんが。
歌うことでその時々を切り取っていってほしいのです。
私は「かわいいからOK!」みたいなファンではないので。YUKIはそりゃかわいいけどそれなりに老けたし、がんばってキープしてほしいけど、やっぱりYUKIは歌ってこそYUKIですから。
アートワークは大事。だけどそれによってYUKIの武器である「上手く歌うのではなく、心をこめて歌います」精神が損なわれてしまうならば意味がないのです。




もやもやっとしてますが、やっぱりライブは楽しみなのでした。ふはー








「ひみつ」は「赤い糸」の歌詞のほうが好みです。切なくて泣けるから。